変えられないもの

医者は大変だ。

毎日いろんな症状の患者を診て、全ての診断をし、処置する。
患者の死や、その後の生活に影響する分岐点に立って自分自身ではない、ほかの誰かの人生を握っているのだ。
そして、医者も人間だ。
嘘もつくし、悪いこともする。
私が行っているテニススクールには医者が多いが、この人には診てほしくないと思う人もいる。先生と言われ続けることで、何か勘違いしてるんじゃないのか?と思えるほど、紳士ではない。仮に医者として素晴らしい知識や技術を持っていたとしても、人間としては残念だ。

そもそも、医者になろうとした人たちの動機はなんだろう。
みんな同じわけではないはずだ。

“親が医者である” この流れは多い。
“人を助けたい” これもあるのかな…
“収入が良い” これもあるのかな?

それぞれの動機の医者に、自分の人生を握らせて大丈夫か?

私たちは良い病院と悪い病院というような分け方をしていることがある。
良い病院は評判が良い。先生がとても親身になってくれていることが伝わってくる。
そして、受付や看護師さんたちも良く感じる。先生が良いので全部良い印象に代わっていることもあるかもしれない。
悪い病院は評判が悪いが、これには先生の評価だけでなく、看護師や受付の人たちの評価も直接加わることが多い。
先生が悪いと言うのは、”その診断が悪くて悪化した” ”診断に納得できない” ”薬で悪化した” など、自分自身が悪い結果を得たことが考えられる。受付や看護師は、”態度” で評価される。看護師が患者に横柄な態度であった場合、その病院には行きたいと思わない。

先生は個人病院ではTopだ。Topの評価は全体に波及する。
個人病院でなかったとしても、先生に従う看護師や研修医たちがいるので、ある程度はお山の大将だ。
大切なことは、Topは態度で評価されないことだ。例えばとても人当たりの良い、気遣いも素晴らしい医者がいたとしても、人はちゃんと本質は見抜いている。そんなもんで医者の評価は上がらない。
これは企業も同じである。

人は完璧ではない。
だが、Topは完璧を求められる。
そもそも人は経験し、学習することで悪い部分は改善できるが、どんなに努力してもそう簡単には変えられない部分がある。
それは ”心根” だ。

Topに立ってない者は、努力や経験で未熟な部分は補えるのだが、Topは心根を評価される。
その心根の弱点を補おうとするTopは、巧みな言葉を使う。これに騙されるな。

大きな病院では、寝る間もなく緊急患者を診て助けようと懸命に頑張ってくれている医者。
この苦労は、感謝感謝感謝である。
一方で、心根を評価される。

医者は大変だ。

楽しい?

これ、良くなくない?
日本語が難しくなってきた(笑

「これ、良くない」→悪い
「これ、良くない?」→良いと思いませんか?
「これ、良くなくない?」→悪くもないのでは?→良いに近い

微妙なニュアンスの違いだろうが、日本語なのに頭を使う。ふぅ~

日本のJCやJKは文化を生む傾向にある。明るい。楽しそう。
男はどうだ?残念すぎではないのか?

私の近所に住むDKは犬の糞の後始末をしない。
近所の方の目撃情報も多いし、ウチの防犯カメラにも2回映っていた。
1度、現場を目撃したので、「君!、放置していくな。始末をしなさい!」と言うと、「(袋を)忘れました」と言った。
手ぶらで犬の散歩していて、何が忘れましたじゃ!確信犯や!と言うその前に、犬を連れた別のご婦人が「私のをあげるから」と言って処理させた。
このDK、その後も糞の放置を続けるので、家に行って母親に文句を言ったら2週間ほど道はキレイになったが、また始まった。
どうしたもんか…

昨今、男子とか女子とか分けることはあまり良くないが、明らかに男は残念だ。
先日も、高田馬場駅前で22歳の女性が刺殺されたが、殺したのは42歳のオッサンだ。
いつまでも子供のまま。これが男だ。
どんな原因があるにせよ、暴力は他国にミサイル打ち込むあの人と同じだ。
男には暴力とか筋肉しかないのだ。それで歴史を作ってきた。

どこかの会社のアンケートに性別欄があって、「男性」「女性」「未回答」となっていたが、これはジェンダーレスが進む現代風の選択肢だと思った。
しかし、この「未回答」はアンケート結果にそれほど意味はもたらさない。
性別欄で「未回答」は、「その他」ではない。
性別欄は一種のマーケティング項目だが、「未回答」には、”性別は男性か女性だがジェンダーレス推進派の人”や、”本当に男性と女性の2択に収まらない人”や、”シンプルに答えたくない人”など、色々が入ってくる。
てなると、男性はどう思うのか?女性はどう思うのか?については傾向がみられるが、未回答の傾向はあまり意味がない。
思い切って、企業側はその他LGBTQと書くわけにもいかず、回答者全員の志向はキャッチできない。

話を戻そう。
JCやJKは明るいように見える。これが大人になっていくに連れ多少暗くなって行くこともあるが、基本的に明るい。笑顔が良い。
DはJに比べると暗い比率が高いし、男で笑顔が良い人は、だいたい悪い奴だ。
これは何なのか?

35歳くらいの時に、全国のおいしいものを探して、NETで売っていたことがある。
とある洋菓子屋さんのシュークリームをサンプルで取り寄せて、数人に食べてもらった。
このシュークリームは、「シュー」と「クリーム」が別々になって送られてくる。クリームは絞り袋に入っているので、先っちょを切って好きな量だけ自分でシューの中へ。バニラビーンズが効いていて美味しかった。
食べていただいた人に感想を聞いたところ、
男性は、”バニラビーンズが特徴的”、”甘さが控えめ”、”シューが硬くて良い”と言った感想だったが、女性は、”楽しい”と答えた。
この時の衝撃は今でも忘れない。

「楽しい」

このキーワードは、女性が明るく見える原点だ。

男たちは楽しさを間違っていないか?
家にこもって、Netで投げ銭。
何をやってんだ。

季節の中で

今朝は澄み渡るような青空で、ベランダで深呼吸してみた。
深呼吸するだけで健康に良いと聞いたことがあるが、実感したことは無い。

深く吸い込んで、吐く。
すると、僅かながら沈丁花の香りがしたような…
もう一度深呼吸。
やっぱり微かな香りがする。
そうだ、そのような季節なのだ。

今日の花粉レーダーは「極めて多い」となっている中で、花粉症の私が挑んだ深呼吸は爽やかな香りを楽しめた。そしてクシャミのような花粉症の症状は出なかった。ラッキー!
しかし、香りに慣れてしまうので、それから何度も深呼吸をしたところで、もう沈丁花は居ないのである。

あれ?さっきすれ違った人、とっても美人だったような気がする。。。
と思って、デパ地下をクマなく探し回っても、もう二度と会えないソレと同じだ。

猛暑の昨年、そしてもう春なのに寒い日が続くなあと思っていたら、数日後は夏を想像させるような日差し。
時速10万Kmの地球号は、あっという間に太陽を1周してしまう。

私は「春と秋が好き」だが、そういう人は多いのではないか?
せっかく過ごしやすい季節なのに、ここんとこ春と秋が短い(泣
以前、あの年中暑いタイ国の方に「四季はありますか?」と聞くと、「アリマスヨ!」と言われたので、どう違うんですか?って聞いたら、「花が咲く時期が違う」と言った。
若干だが、雪は降らずとも気温や湿度の違いもあるのだろう。

季節は重要だ。
季節によって売れるものも作り方も変わる。
長い間、これまでの「季節」の常識で、仕入れたり準備したりしていた。
しかし、その常識が常識でなくなってきた昨今、その準備はダメになったり無駄になったりしてしまう。
とても少数の人を対象にしていた商売などは、たちまち死活問題にもなりかねない。

ここ100年のデータを見ても、日本では気温は高くなる方向にあるようだ。
夏の猛暑日の日数も少しずつ増えている。
これは生態系にも影響していると思うが、生活にも影響する。
暑い夏、暑い秋、暖かい冬、暑い春。
極端に書いたが、どう対処していくのか考えておくのが賢い。

先日ラジオで聞いたが、夏は「下駄」が良いらしい。
なんでか?
下駄は、地面から数センチ上に足が来るため、地面の熱を受ける量が減るとか。
なるほどね。
という具合に、大がかりな設備を入れなくても、考えたり工夫すれば、僅かでも暑さを回避できるのだ。

とにかく暑さの原因は「太陽」なので、これを軸に考えてみると良いかもしれない。
私は昨年、南側の壁とベランダに、日よけシェードをDIYで取り付けた。
ブラブラ垂れ下げているだけだ。風が吹くと、バサバサ揺れるが問題ない。
とても風が強い日や使わない季節では、クルクルと巻き上げてヒモで縛っておく。
これだけで、家が太陽光を浴びて蓄熱するのを防ぐため、幾らかマシになたはずだ。
次に考えていることは、雨水タンクを置いて雨水を貯水し、電動ポンプでこのシェードに噴霧させようかと思っている。電源はソーラー発電で良い。(雨水は衛生的にまずいかな?)
こうすれば、蒸発熱でシェードが冷え、そこを通る風が冷ややかになるはずなので、窓を開けてエアコンを切ることもできるかも。

アレ?大がかりな設備になってきている(汗

日常で工夫することは、仕事で工夫することと同じ。
いつも工夫することで、その習慣が身につく。

沈丁花の優しい香りがしない地球になっても、工夫すれば良い。

車が高く売れる

私は2019年式のマツダCX5に乗っている。

ディーラーで1年点検を受けに来たが、担当営業は私の車を新しく替えたくてたまらない。
そして、現在の査定をさせてくれというのでお願いした。
すると、6年で84,000Kmも走行している私の車は、査定金額は174万円だという。

えーーーーーー(@_@;)

理由は、

  1. 輸出用の中古車が足りてない
  2. CX5は人気車種である
  3. ディーゼル車である

凄い。
売るときのことを考えて車を購入したつもりはないが、そんなに高値で売れるんだとビックリした。新しいCX5に乗り換えるつもりはないが、こういう逆転現象はなんだかうれしい。

円高の時に外貨預金をしていて、今日の円安の差益でアホほど儲けたと言う人を知っているが、そんな感じなのか…

世の中には、「こんなはずじゃなかった」という悪い話はよく聞くが、いい話はあまり聞かない。いい話は自慢になるし、聞いた人が更にハッピーな人じゃないと、妬まれる。
今回の査定の話は良い話だが、これを売らない場合は何も得しないので書いてみた。

そういえば、同じCX5にはガソリン車もある。
私は、なぜそのガソリン車に乗るのか?若干理解できない。
マツダのディーゼル乗用車は歴史もあり、燃費も良く、軽油は安いし、そして力強い。
ガソリン車ならマツダに乗る必要はあるのか??
あんまり言うとマツダに怒られるかな…
マツダに乗るならディーゼル車でしょうよ!(個人的な意見)

これに似た話はまだあるのではないか?
他と比較して、高くて品質も劣るのに、それを選ぶ。
他と比較して、とても重くて危ないのにそれを選ぶ。
他と比較して、マズくて臭いのにそれを選ぶ。
どう考えても犬なのに、ネコを選ぶ。
などw

これはもう「好み」の問題だ。

人の好みは自由だ。
マーケッティングの観点からは少数派は切り捨てられることもあるが、そこに少数派のものがあるという事も大切なのだ。
ホームセンターには何万点、何十万点という品ぞろえがあるが、ほぼ売れない物でさえも「そこにある」ことが重要で、それがホームセンターの役割だ。

「無い」という事だけで、価値が下がるのは事実だ。
維持するのは、個人では難しい。
ビジネスシーンでは、無くても「ある」と言う事がとても大切だ。
問い合わせがあったとき、「あります」と回答する。
正確には「取り扱うことが出来ます」という事だが、「ありません」と言った瞬間に、未来はすべて無くなるのである。

聞いたことが無いものでも、「無い」という回答をしないこと。
電話を切ったら、そこから鬼のように調べて行くのだ。
そう繰り返すことで、良いことにつながるはずだ。

今回のマツダの営業の方には、「買いません」とハッキリ言ってない。
お互い希望を持つことは良いことだw
決して、イタズラに希望を持たせたりはしてないw

be careful

この話は、別に中国の事を悪く言うつもりではないが、結果的にはそうなってしまうので悪しからず。

temuと言う中国の通販サイトがある。
根拠も定かではないのに危険だと囁かれているが、面白い物が沢山売っているので、私はよく利用する。
正直なところ、値段相応の商品だが、中にはとても満足出来るものもある。
当然ながら?色々失敗もした。

USBなどから電源を取り充電するタイプのものは、特に気をつけて頂きたい。
例えば、Bluetoothイヤホン。

typeCのコネクターで充電する。
がしかし、繋いでも充電しない。
付属で付いているケーブルだと充電出来る。

ん?

誰もが経験すると思われるが、何か電気製品を買う度に、USBケーブル類が付属しているので、使わないケーブルが沢山溜まってくる。
このtypeCもそうだ。

普段使うデスクやベッドや車に、そういう充電用のケーブルはいつも準備しているのは私だけではなかろう。寝る時に、ベッドで携帯にケーブル挿して寝るとか。

このとき、「あ~typeCだから、机の上で充電して…」
と言うように、イヤホンも充電しようとする。
しかし充電が始まらない。

理由は、typeCの形状だが、typeCのスペックを満たしてないのである。
だから、付属のtypeCのようなケーブルじゃないと充電出来ないのだ。

うかつに付属の短いケーブルを捨てちゃったりすると、二度と充電出来なくなってしまう。
これは、temuで購入したものに限らない。
楽天で売ってるものでも、中国製品だとこのような事がしばしばあるのだ。

BUFFALOとかELECOMとか有名どころの製品は、たとえ中国で製造していたとしても、このようなことは無い。
中国の安い電気製品を買うと、こういうリスクがある。

わざわざtypeCそっくりの形状にするのは何故だ?
やめてほしいなぁ。
typeCにも版権とかあるのかな?

他には、例えばキャラクターやブランド品のパクリ製造販売。
ニセブランド品は世界中にある。当然ながら、違法だ。
しかし、キャラクターのパクリはあまり聞いたことがない。
中国では、結構大々的にパクッている。

悪いと言う認識が無いのだと思える。
知的財産権というものを知らないのかも知れない。

やっぱり中国をディスっているようになってしまうが、日本に仕事で来ている中国人はとても良い人だ。
友達になりたいくらい大好き。

日本人も世界中で悪いことしてる人もいるし、一概に「日本人」とか「中国人」とかで区別すべきではない。
ただ、電気製品は気を付けるべし。

小生

ネットで知った。

- ビートたけし -
「人は何か一つくらい誇れるものを持っている。
何でもいい、それを見つけなさい。
勉強が駄目だったら、運動がある。
両方駄目だったら、君には優しさがある。
夢をもて、目的をもて、やれば出来る。
こんな言葉にだまされるな、何も無くていいんだ。
人は生まれて、生きて死ぬ。
これだけでたいしたもんだ。」

ちょっと感動した。

新聞もラジオもネット記事も、自分が知りたいこととは関係なく情報が飛び込んでくる。
このことは大変素晴らしい。
しかし私がダメなのは、これに影響を受けて、色々と無駄な寄り道をしてしまう事だ。

自分がやろうとしていることの行列があって、順次進めている途中に、魅力的な情報が飛び込んでくる。
例えばこんなことだ。

オンラインで会議がある。
5分ぐらい前には準備をするが、定刻まで5分ほどある。
ブラウザーのタブでYoutubeを開くと、サムネイルの中に
「いまやるべきブドウの剪定!」
というタイトルがw
会議開始までの時間を気にしながら、倍速で再生してみる。
しかし定刻になった。
会議が進む中で、『この会議で話すことじゃないんじゃない?』という無駄なやり取りが続いたりすると、会議中なのに、先ほどの続きを再生してしまうw
そして、ブドウの剪定も、肝心の会議も、内容が頭に定着しないまま終わるのである。
会議の例は良くないが、オンラインセミナーなどではある程度の人は身に覚えがあるかもしれない。

人は話を聞いているときに、何を考えているのだろう?
その事実を淡々と聞いて、記憶に残して行くだけなのか?
特に、つまらない話を聞いているとき、何か別の事を考えてしまうのは私だけではないのでは?

私は子供のころ、妄想癖があった。
誰かと話をしていても、別の事を連想してしまうと、どんどんそのストーリーが目の前で展開され、まるでこの世界ではありえないような景色が見えていたりした。
当然ながら話し手の内容は、断片的にしか覚えてない。

大人になってからは、話を聞くときは、いつもその理由を考えている気がする。
例えばどこかの社長が、「昨年度は売り上げが10%Downした」と話す。
話し手の内容に対し、その原因や要因が見えてこないとき、それを探しながら話を聞く。
話し手がその原因を話したとしても、それがどの程度信憑性があるのかを考えてしまう。

なんで?

この言葉が自然と口から出ていた時期もあった。考えるより先に口から出ていたのだ。
同僚から、「パソコンの電源が入らない。」
と言われたとき、「なんで?」と言ったら、「知らんがな!わからんから聞いとるんや!」と言い返された。
それもそうか…
見てみると、電源が抜けていた。

どのような結果にも、原因がある。

憂鬱そうな回答をする部下。トイレが汚れたままになっている。よその部署に直接指示を出す上司。財布を忘れた。
全てに原因があっての結果だ。
それらの原因を突き詰めて、再発しないように努める。
そこへ、関係ない情報が飛び込んできて、問題の行列が減って行かない。。。

どうして、どうしてよそ見しちゃうんだろう。
ダメな自分を正す、何か良い解決策があるはずだ!

そこでだ。

だまされるな。
人は生まれてきて死ぬ。
これだけでたいしたもんだ。

救われるわ(笑

即解決法

ある人が、新しく入社した人の事をこう言った。

「あいつはダメだ」

理由を聞くと、先日ランチを奢ったが、お礼の一言もないので「社会人の常識が無い」とのこと。
それだと、「社会人の常識が無い」という評価はある程度の信憑性はあるが、「ダメ」という烙印はかわいそうな気がする。その話から、こんなことを思い出した。

私が35歳のころ、生前の叔父と角打ちで時々飲んでいた。
あるとき、私の従弟(いとこ)の事を悪く言ったことがある。
「あいつに今までいろんなことをしてあげたのに、お礼状の1つも貰ったことが無い」

私はそのとき、父の言葉を思い出していた。
「人はその見返りを求める。人に何かをして、その見返りが無いと怒る。これは人間の残念な部分だ。そう思わないように、人に何かをするときは一方通行で、勝手な善意だと思う事が良い。」

そう、叔父は父の悪い例に出てきたままである。
私もそうならないようにしたいものだが、まだまだ人間が出来てない。

私は最近、ある人にとても嫌悪感を覚えていた。
なぜそんなに自分本位なのか?自分勝手なことを言っていることがなぜわからないのか?相手の気持ちや立場を考えてみれば、そんな風に考えられるはずがないのに…
私は考えれば考えるほど許せなくなり、怒りを覚える。
しかし、ある言葉を口に出した途端、まるで嘘のように気持ちが軽くなった。

「しゃあない(仕方ない)」

その人の事を、しゃあないと割り切れば、何のことは無くなったのである。
誰も傷つけることなく、解決した。

おや?

近年テレビを見なくなったが、寝る前に端末で映画やドラマをよく見る。

世界中の人が数多のストーリーを考えて世に放出し続けているが、よくそんなこと考えつくなぁと思う事がある。
今見ているドラマはNetflixの「三体」。これもその一つだ。

私は「一事が万事」という慣用句を次のような意味として認識している。
「1つの事ができれば、同じようなほかの事もできる。1つの事ができないと、同じようなほかの事も出来ない」
極端な捉え方かもしれないが、私の経験則からそうなっている。
「三体」を作った原作者は、おそらくほかの事の創造性にも才能があるはずだと思う。

会社で働く人たちの中にも、それぞれ得手不得手がある。
それに向いてない人は同じような事の仕事に向いてないし、その逆も然り。

手先が器用な女性がいた(女性は器用な人が多いが)。
電卓を叩かせても、正確で速い。
キーボードの入力スピードも速いしタイプミスも少ない。
ゲームのコントローラーさばきも上手だ。
この女性にピアノを弾かせてみた。
習ったことが無いので、とても弾けたもんじゃない。
しかしきっと、習わせるとそこそこ弾きこなすに違いない。
この予測は「一事が万事」から想像していることだ。

人のいい所を見つけると、その先のその人の人生は明るくなったことが保証されるような話だ。
そして、それを叶わせることができるのが、「親」である。

最近の親はどうだ。
残念ながら、なんだか残念な感じがしているのは私だけか?
子供の良いところを伸ばして行ってほしい。

話は変わるが、映画を見ているだけなのに、私は心を動かされる。
例えば、悪人であれ善人であれ、人が悲しんで涙を流すシーンで、私はその人の気持ちを汲んで涙を流す。
幸せなシーンでは「あ~よかったねぇ」と同じように幸せになる。人が楽しくしていると楽しい。
そのとき客観的には、寝っ転がって映像を見ているオッサンが泣いたり喜んだりしているので、可能な限り誰にも見られたくない。

人はそもそも、人の気持ちに寄り添う事ができる。
悲しんでいる人を見ると、幸せな気持ちになれるはずがない。
困っている人がいれば、助けたくなるものだと思うが、果たして違うのか?!

世界のどこかの戦争の首謀者や絶対権力者と呼ばれる人たちは、いったいどんな環境で育ったと言うのか??
どうすれば、平気で人を殺すことができるのか?
どんなヒドイ親に育てられたと言うのか?

いや、きっと地獄のような幼少期を過ごしたわけではない。
親が、正しいことをちゃんと教えなかっただけだと思う。
話が長くなるが、年末のクリスマスの日にこんなことがあった。

クリスマスケーキを予約してなかったので、シャトレーゼという洋菓子店に行ってみた。
そりゃもう店内はごった返していたが、入り口から床に「ケーキ購入の方」と「ケーキ予約受け取りの方」というそれぞれのテープが貼ってあったので、「ケーキ購入」に沿って進んだ。
そして、順番がすぐそこまで来ているところで、私の前のご婦人が、荷物を持ち直すために床に手荷物を置いた。そしてそのとき、そのおばさんの前が1メートルほど空いたところへ、横から来た40歳くらいのおばさんがスッとそこへ割り込んだので、私はトントンと背中を叩いて、「あの、並んでますけど」と言った。すると、

「そっちは受け取り側じゃないんですかっ!」となぜかキレ気味に言うので、「いいえ、違いますよ」と言いながら、私の足下の床の線を指さした。
すると、そのおばさんはもっとキレて、「じゃあ、ココに並んでください!!!」と声高に自分の足元を指さした。

もう、ブチ切れて血管切れそうになったが、そのおばさんは小学4年生ぐらいの女の子を連れていたので、大勢の前で母親を𠮟りつけるわけにもいかず、黙ってそのおばさんの位置へ移動した。割り込みおばさんは、その後ろへ移動した。

こんなルールも守らない自分本位の親の姿を子供に見せて、子供がまともに育つはずがない。
車を運転しても、誰一人割り込ませない嫌な感じの女性ドライバーが完成するかもしれない。

親は責任重大だ。
子供から見られているから身をただすというのもいかがなものかと思うが(笑

とりあえず3%

色々作ることが好きで、毎年冬は白菜の漬物を漬ける。
しかし今年の冬は、クリスマスも終わったと言うのにまだなのだ。
理由は、野菜の高騰。それと、野菜が少ない。少ないから高いのか、別の要因もあるのか、とにかく野菜が高い。
今年の白菜は大きなものは1玉600円するものもある。
さっきニュースで言っていたが、アメリカでは「もやし」が1袋800円しているらしい。
世界中で食料インフレが起きている。
政治家は戦争などしている場合ではないだろう。

さて。
私は毎年、大きな品種の白菜を買う。どこかの田舎の道の駅や小さな八百屋さんで1玉200円以内だと買うことにしていた。
今年は辛抱たまらずに、1玉380円の白菜を4玉買ってきた。
4玉の理由は、私の漬物樽の大きさの関係で。
1玉を4ッ割にして、漬物1回分(1回分というのも変だが)が約100円近い。
1玉200円で買ってきたときは、1回分が50円でチョーお得な感じだったのに…
漬物は漬けても半分以上は人に差し上げるから、もらっていただく方が気を遣わないと良いが…

そういえば3%。
白菜は重量のおよそ3%(私は2.2%ぐらい)の塩で漬けるが、塩分3%と言う数字は料理でも料理じゃなくても良く使う。
例えば、鼻うがい。
塩分濃度3%だと丁度良くて痛くない(私の場合)。
海の塩分濃度が3%程度なので、色々通じているのか…いないのか。

消費税も最初は3%だった。
でもいつもまにか10%にまで上昇し、国民は戦国時代の年貢ほど厳しい取り立てに遭っている。
せめて食品ぐらいは非課税にしなさい!

今日は飲めない人と

「このあたりで、おいしいお店はありませんか?」

テニスのコーチがこう言うので、魚のうまい店はありますよ!
といって、だいたいの場所を教えた。
お店のオカミさんが調子が悪い時があって休みがちだから事前に連絡してから行くほうが良いと思います。
私が予約してあげましょうか?

なんとなくその場の雰囲気があって、「一緒に行きますか?」と言うと、
「いいんですか?連れて行ってもらえるんですか?」と、まんざらでもなさそうな返答がきた。
そして横にいたスクールのメンバーにも、「一緒に行きますか?」と言うと、行くと言う。
お店に予約を入れて、翌週に行くことに。
そして当日…

コーチが、「あの~、夜中に車で人を迎えに行かなければならなくなって、今日はウーロン茶とかでも良いでしょうか?」

お酒を飲みに行くのに、酒が飲めないって…
そしてもう一名の参加者も、「明日が早いので、今日は飲めません」

えーーーーーー(◎_◎;)

仕方ないので、シラフの方2名を前にして私は一人お酒を頂きました。
会計でオカミさんに9,800円ですと言われ、「安っ」て言うと、
「飲んでないやーん」(一一”)

この程度のハプニング、世の中で起きている不条理に比べればなんてことないわっ!