以前、TVでどこかの先生が言っていた。
「いろんな人の顔をかけ合わせていくと、最終的にとても整った顔になる」
整った顔とは、全ての人の平均的なと言う意味だ。
よって、とても大きな口だったり、尖ったアゴだったり、鋭い目という個性的な部分が無くなるという事だ。
これはなんとなく受け入れられる説だ。
最近流行りの生成AIも、この話に近くないか?
世の中の膨大なデータの中から平均的な意味合いの回答を作り出す。
「平均的な」という言葉は適当ではないかもしれないが、多くの人が共感できるという事はそういう事ではないのか。
生成AIは、創造主ゼウスではない。
人間は刺激を求める生き物なので、エッジが効いてないものは飽きる。
「美人は三日で飽きる」と言われてきたように、万人受けする顔は飽きられる運命なのだ。
しかし生成AIの作り出す結果に飽きたとしても、便利なことには変わりがない。
私自身もすでに随分とお世話になっているが、使うのを止めようとは思わない。もっと使い倒して、AI使いと呼ばれるようになって、ラク~に仕事をしたいのである。
近いうちに、生成AIが使える人と使えない人に分かれた時代が来る。
その先は予測するのが難しいが、まずはそうなるはずだ。今もそれが始まっているが、まだ利用者が少ないために社会全体に大きな変化は現れていない。
この分け目ができるとどうなるのか?
収入には差が出てくると思われるし、その収入源になる仕事自体にも差が出てくる。
皆さん、今始めるべきです。
私は人に会うたび、そう伝えています。
私もそのサポートができますが、私になど頼まなくとも自分でできます。
頑張って階段を一歩登ってください。
見える景色は変わってきます。