AIヲ、ツカエ

以前、TVでどこかの先生が言っていた。

「いろんな人の顔をかけ合わせていくと、最終的にとても整った顔になる」

整った顔とは、全ての人の平均的なと言う意味だ。
よって、とても大きな口だったり、尖ったアゴだったり、鋭い目という個性的な部分が無くなるという事だ。
これはなんとなく受け入れられる説だ。

最近流行りの生成AIも、この話に近くないか?
世の中の膨大なデータの中から平均的な意味合いの回答を作り出す。
「平均的な」という言葉は適当ではないかもしれないが、多くの人が共感できるという事はそういう事ではないのか。
生成AIは、創造主ゼウスではない。

人間は刺激を求める生き物なので、エッジが効いてないものは飽きる。
「美人は三日で飽きる」と言われてきたように、万人受けする顔は飽きられる運命なのだ。

しかし生成AIの作り出す結果に飽きたとしても、便利なことには変わりがない。
私自身もすでに随分とお世話になっているが、使うのを止めようとは思わない。もっと使い倒して、AI使いと呼ばれるようになって、ラク~に仕事をしたいのである。

近いうちに、生成AIが使える人と使えない人に分かれた時代が来る。
その先は予測するのが難しいが、まずはそうなるはずだ。今もそれが始まっているが、まだ利用者が少ないために社会全体に大きな変化は現れていない。
この分け目ができるとどうなるのか?

収入には差が出てくると思われるし、その収入源になる仕事自体にも差が出てくる。


皆さん、今始めるべきです。
私は人に会うたび、そう伝えています。
私もそのサポートができますが、私になど頼まなくとも自分でできます。
頑張って階段を一歩登ってください。
見える景色は変わってきます。

ぼかし

知り合いから「Googleストリートビューに、あなたが写りこんでいたよ」と教えられ、見てみた。
顔はボカしているが、確かにそう、このおじさんは私だ!
取引先の新築現場で機材搬入を見ていた時にGoogleの車が通ったのを思い出した。

普段はストリートビューなんてあまり見ないから、この流れで自宅を見てみると、私が出た後の駐車場で愛犬が昼寝中の画像が見れた。
愛犬もボカされていた(笑

暑い秋

散歩の途中、アチコチで金木犀のいい香りがする…
と思っていたら、瞬く間に散ってしまった。
暑さのせいか?
調べてみると、金木犀の花は1週間だけ咲いているらしい。
はて?1週間も咲いていたかな??

金木犀の花が散ると、晩秋が訪れると書いてあるサイトがあった。
福岡では、日中27℃にもなった。
どこが晩秋じゃ(笑

こんな季節感のない秋は初めてだ。
これから訪れる冬にも何かあるに違いない。
季節が季節通りにならないと、経済にも影響が出る。
季節が関係しない職種の方には関係がないが、季節商売の方は大変であろう。

私のようなSEは、直接関係がない。
しかし、季節のせいでお客様がヒマになってもらっては困る。
経済はつながっているから、間接的に影響が出てくるはずだ。
知らんけど。

10月18日、福岡は真夏日になり、85年ぶりに気温の記録を更新したとか。
これは、85年前にもこんなことがあったという事だ。
この暑さは、地球温暖化とかCO²とか、なんかよくわからないけど地球の環境問題と直結しているような気がしてならないが、85年前にもこのようなことが起きていたのなら、環境問題とは無関係なのではないのか?

私が子供のころ、冬の福岡では雪がまあまあ積もっていた。
このところの暖かい冬とは大違いに寒かった。
どこかの学者が言うように、こういうことは地球は繰り返してきたことで、とくに気にしなくてもいつかまた寒い時期が来るとか来ないとか。

寒いのも困るが、暑いのも困る。
そうでなくとも生きていると色々困ることがあるから、これ以上困りごとは増えないでくれ!

幸運

阿蘇の山奥に両親の里がある。
ここにはもう誰も住んでないが、家や墓があるので時々メンテナンスに通っている。
最近ではアチコチ木が大きくなって、行くたびに木ばかり切っているが、ちょっと怠けていると自分では切れないほどの大きさになってしまう。
山の木は、勝手に生えてきて勝手に成長するから、知らないうちに木が生えていて景色に溶け込んでいるので始末が悪い。気付いた時には大木にということがある。

墓の横の勝手に生えたクヌギの木が大きくなっているので、ハシゴを掛けて上のほうの枝を落として行かないと…と思っているうちに、自分では手に負えない大きさになってしまった。
上のほうが電線にかかっているので、NTTか九州電力か…どこかに電話して切ってもらおうか、それとも業者に切ってもらうか頭を抱えていたのが今年の夏。

昨日、携帯電話に未登録に着信が。
出ると、九州電力の人だった。

ウチの墓の近くの電柱が台風で倒れたので、電線を引き直す作業をするという。
このとき、例のクヌギの木と周りの竹が邪魔になるので、少々切っても良いか?という連絡だった。

!!!!!
なんという事でしょう!こんな偶然あるのかっ!
私は電話で、
「そのクヌギは上のほうが電線にかかっていたので切ろうと思っていました。しかし今切ろうとしているのなら、少々ではなく下からバッサリ切り倒してください。切った木はシイタケの原木になるので、墓の横に放り投げといてください!周りの竹も、すきなだけバッサリ切りまくってくださーい♪」
と伝えると、快く引き受けてくださり電話を切った。

宝くじにでも当たった気分だ。
次に阿蘇に行くのは11月頃だが、そのときは、今回切ってもらったクヌギがあるので、シイタケの栽培用に適当な大きさに切りそろえて来年に備えることが出来る。
憂い事が去り、楽しみが増えた。
また昨日は新しいお客様と打ち合わせがあり、とても人柄の良さそうな方だったので仕事面でも幸運だった。

この幸運はいつまで続くのかっ!
幸運は、努力とは関係がないため、ナンボでも来てほしい。
今日これからが、とても楽しみだ。

最初の一歩

ひとりの人間が、「こうあるべきだ」という考えを持つ。
それをみんなの前で話をした。
別の人も自分の考えをみんなの前で話をした。
多くの人が賛成する意見が、みんなの意見として採用される。
最終的に採用されるには、多くの賛成が必要だ。

「多くの賛成を得るために」

この言葉が、もう間違いの始まりではないのか?
多くの賛成を得るために、人の理解を促す活動なら間違いではない。
採択されるための、多くの票が集まるための、そう思ってない人も1票投じてくれるための、自分に託してくれる喜びを感じ続けるための、家族や子孫が反映し続けられるよう…
と、おかしな目的になる。

人は今より大きな力を得ると、さらに大きな力を得ようとする。
これを繰り返して、とても大きな力を得る。
そして、最初は本人も望んでないはずの、人の涙や人の血が流れる。

世界中、どこを見てもこの方程式に沿っている。
人に向かってミサイルを撃つ。
こんなことあって良いわけがない!

人は最初の一歩を忘れずに生きていくことはできないのかもしれない。
漫画でも映画でも、ヒーローはそれを忘れていないから慕われるのであろう。