ネットで知った。
- ビートたけし -
「人は何か一つくらい誇れるものを持っている。
何でもいい、それを見つけなさい。
勉強が駄目だったら、運動がある。
両方駄目だったら、君には優しさがある。
夢をもて、目的をもて、やれば出来る。
こんな言葉にだまされるな、何も無くていいんだ。
人は生まれて、生きて死ぬ。
これだけでたいしたもんだ。」
ちょっと感動した。
新聞もラジオもネット記事も、自分が知りたいこととは関係なく情報が飛び込んでくる。
このことは大変素晴らしい。
しかし私がダメなのは、これに影響を受けて、色々と無駄な寄り道をしてしまう事だ。
自分がやろうとしていることの行列があって、順次進めている途中に、魅力的な情報が飛び込んでくる。
例えばこんなことだ。
オンラインで会議がある。
5分ぐらい前には準備をするが、定刻まで5分ほどある。
ブラウザーのタブでYoutubeを開くと、サムネイルの中に
「いまやるべきブドウの剪定!」
というタイトルがw
会議開始までの時間を気にしながら、倍速で再生してみる。
しかし定刻になった。
会議が進む中で、『この会議で話すことじゃないんじゃない?』という無駄なやり取りが続いたりすると、会議中なのに、先ほどの続きを再生してしまうw
そして、ブドウの剪定も、肝心の会議も、内容が頭に定着しないまま終わるのである。
会議の例は良くないが、オンラインセミナーなどではある程度の人は身に覚えがあるかもしれない。
人は話を聞いているときに、何を考えているのだろう?
その事実を淡々と聞いて、記憶に残して行くだけなのか?
特に、つまらない話を聞いているとき、何か別の事を考えてしまうのは私だけではないのでは?
私は子供のころ、妄想癖があった。
誰かと話をしていても、別の事を連想してしまうと、どんどんそのストーリーが目の前で展開され、まるでこの世界ではありえないような景色が見えていたりした。
当然ながら話し手の内容は、断片的にしか覚えてない。
大人になってからは、話を聞くときは、いつもその理由を考えている気がする。
例えばどこかの社長が、「昨年度は売り上げが10%Downした」と話す。
話し手の内容に対し、その原因や要因が見えてこないとき、それを探しながら話を聞く。
話し手がその原因を話したとしても、それがどの程度信憑性があるのかを考えてしまう。
なんで?
この言葉が自然と口から出ていた時期もあった。考えるより先に口から出ていたのだ。
同僚から、「パソコンの電源が入らない。」
と言われたとき、「なんで?」と言ったら、「知らんがな!わからんから聞いとるんや!」と言い返された。
それもそうか…
見てみると、電源が抜けていた。
どのような結果にも、原因がある。
憂鬱そうな回答をする部下。トイレが汚れたままになっている。よその部署に直接指示を出す上司。財布を忘れた。
全てに原因があっての結果だ。
それらの原因を突き詰めて、再発しないように努める。
そこへ、関係ない情報が飛び込んできて、問題の行列が減って行かない。。。
どうして、どうしてよそ見しちゃうんだろう。
ダメな自分を正す、何か良い解決策があるはずだ!
そこでだ。
だまされるな。
人は生まれてきて死ぬ。
これだけでたいしたもんだ。
救われるわ(笑